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旧浜松
- ~794年(飛鳥以前、飛鳥、奈良)
- 794年~1335年(平安、鎌倉)
- 1336年~1603年(南北朝、室町、安土桃山)
- 1603年~1716年(江戸(前期))
- 1717年~1836年(江戸(中期))
- 1837年~1867年(江戸(後期))
- 1868年~1893年(明治(前期))
- 1894年~1912年(明治(後期))
- 1912年~1926年(大正)
- 1926年~1937年(昭和(戦前前期))
- 1937年~1945年(昭和(戦前後期))
- 1945年~1956年(昭和(戦後前期))
- 1957年~1972年(昭和(戦後中期))
- 1973年~1989年(昭和(戦後後期))
- 1989年~(平成)
~794年(飛鳥以前、飛鳥、奈良)
| 西暦 | 年号 | |
|---|---|---|
| 約80000年前 | ナウマン象生存 | |
| 約30000年前 | 約2~3万年前に浜北人暮らしていたと考えられる |
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| 約13000年前 | 東平遺跡(神ケ谷町)や次郎太夫遺跡(吉野町)で、有舌尖頭器(槍)が使用されていた | |
| 約9000年前 | 縄文土器の使用 | |
| 約5000年前 | 仮屋坂遺跡(伊左地町)に竪穴住宅 | |
| 約4500年前 | 前平遺跡(都田町)に環状集落が営まれていた | |
| 約4500年前 | 半田山遺跡(半田町)で石囲いの炉が使われていた | |
| 約4000年前 | 縄文時代 | 蜆塚(しじみづか)遺跡に静岡県内唯一の環状貝塚の建設がはじまる |
| 神武 | 素賀国造を定める |
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| 約2000年前 | 水田稲作農業が定着したと考えられる |
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| A.D.100年頃 | 弥生時代 | 伊場(いば)遺跡はじめ、各地で米作りの集落ができ、人口が増加する |
| 約200 | 稲作開始 |
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| 仲哀 | 久努国造を定める |
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| 約1750年前 | 銅鐸が祭事道具に使用される | |
| 約1725年前 | 村前遺跡(三和町)で船の絵や文様を施した土器使用 | |
| 約400 | 古墳時代 | 赤門上(あかもんうえ)古墳(浜北)や馬場平(ばんばひら)古墳(引佐)などの大きな古墳が造られる |
| 約400 | 千人塚古墳つくられる |
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| 約400 | 遠淡海・久努・素賀が遠江国になる |
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| 約1550年前 | 伊場に集落形成 | |
| 約1500年前 | 入野に古墳が築かれる |
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| 約1400年前 | 豊町の蛭子森に円墳が築かれる |
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| 約1400年前 | 深萩町に火穴古墳構築 |
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| 約1400年前 | 都田町見徳に横穴式石室をもつ円墳 | |
| 約1350年前 | 都田恩塚山に横穴式石室をもつ円墳 |
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| 642 | 皇極 | 東は遠江国、西は安芸国を限って飛鳥板葢宮造宮丁を徴発する |
| 645 | 大化1 | 東国国司を任命派遣する |
| 646 | 大化2 | 大化改新の詔下る。こののち遠淡海国・素賀国・久努国などを統合して遠江国(遠淡海国)が創置される |
| 646 | 大化2 | 国府が見付(いま磐田市)に置かれる |
| 646 | 大化2 | 東国国司の成績について指摘をする |
| 672 | 天武1 | 壬申の乱 |
| 675 | 天武4 | 唐人30口を遠江国に置く(日本書紀) |
| 692 | 持統6 | 遠江外4か国に詔して、伊勢行供奉の騎士の戸に今年の調役を免除する(日本書紀) |
| 700 | 天武4 | 遠江守勤広壱漆部造道麻呂、善政によって20戸を授けられる[遠江国司初見] |
| 701 | 大宝1 | 遠江国など17国に蝗害、秋大風がある |
| 701 | 大宝1 | 南浅田町の光福寺が開創、太子渕の松がある |
| 702 | 大宝2 | 持統上皇三河国御幸、供奉の官人長忌寸奥麿は引馬野を、高市連黒人は安礼の崎を詠ずる |
| 702 | 大宝2 | 鴨江町の鴨江寺開創 |
| 703 | 大宝3 | 頭陀寺町の頭陀寺開創 |
| 708 | 和銅1 | 従五位下美努連浄麻呂、遠江守となる(続日本記) |
| 709 | 和銅2 | 遠江国長田郡を長上・長下の二郡に分ける |
| 709 | 和銅2 | 遠江国などの兵、蝦夷征討のため奥羽へ従軍する |
| 710 | 和銅3 | 平城遷都 |
| 710 | 和銅3 | 遠江国の飢饉を救う |
| 710 | 和銅3 | 従五位下大伴宿称牛養、遠江守となる(続日本記) |
| 713 | 和銅6 | 遠淡海国を遠江国と改める |
| 715 | 和銅8 | 遠江国地震、山が崩れて麁玉河をせきとめ、敷智・長下・石田3郡の民家が水没し、田も損害をうける |
| 719 | 養老3 | 遠江守正五位大伴宿称山守、按察使に任ぜられる |
| 720 | 養老4 | 遠江国に7剋の伝符が給せられる |
| 720 | 養老4 | 蝦夷の討伐に遠江国の兵、派遣される |
| 722 | 養老6 | 遠江国差益郡8郷を割いて山名郡を置く |
| 726 | 神亀3 | 遠江国の5郡、水害をうけ、これを救う |
| 726 | 神亀3 | 山背国愛宕郡出雲郷雲下里の丁女4人、遠江国長田上郡に住む |
| 730年頃 | 奈良時代 | 伊場遺跡から出土した木簡に「浜津」の地名(浜松市の地名のおこり) |
| 732 | 天平4 | 正三位藤原朝臣房前、東海・東山節度使となる(続日本記) |
| 733 | 天平5 | 遠江国、飢饉におそわれ、これを救う |
| 734 | 天平6 | 中沢町の常楽寺開創 |
| 736 | 天平8 | 蒲町の広禅寺開創、木造大日如来像安置 |
| 738 | 天平10 | 従五位下百済王孝忠、遠江守となる(続日本記) |
| 738 | 天平10 | 東国の防人帰郷する |
| 740 | 天平12 | 遠江国司、この年の田租の収納状況を報告 |
| 740 | 天平12 | 浜名湖南端に風害がある[遠江国浜名郡天平12年輸租帳] |
| 743 | 天平15 | 遠江国敷智郡竹田郷戸主刑部真須弥、調布を進上する |
| 745 | 天平17 | 遠江国山名郡より中男作物として堅魚を進上する |
| 745 | 天平17 | 国分寺が国府(磐田市)に建立 |
| 752 | 天平勝宝4 | 従五位下多治比真人犢養、遠江守となる(続日本記) |
| 755 | 天平勝宝7 | 遠江国の防人、筑紫へ派遣される。防人部領使遠江国史正坂本朝臣人上は防人の詠歌18首を進上、7首が万葉集に採用される |
| 757 | 天平宝字1 | 正五位上賀茂朝臣角足、遠江守となる(続日本記) |
| 757 | 天平宝字1 | 橘奈良麻呂の乱。このとき天平勝宝4年以後、遠江守であった多治比真人犢養・賀茂朝臣角足・多治比真人国人の3人処分される |
| 760 | 天平宝字4 | 当麻真人広名、遠江員外介に任ぜられる[員外国司] |
| 761 | 天平宝字5 | 麁玉河の堤防300余丈決潰、30万余に達する人員を徴発して、これを復旧する |
| 761 | 天平宝字5 | 東海節度使、遠江国などの兵船を検定する |
| 762 | 天平宝字6 | 遠江国、早害による飢饉におそわれ、これを救う |
| 762 | 天平宝字6 | 従四位下栗田朝臣奈勢麻呂、遠江守となる(続日本記) |
| 764 | 天平宝字8 | 従五位上下毛野朝臣多具比遠江守となる(続日本記) |
| 767 | 神護景雲1 | 高丘連比良麻呂、遠江守に任ぜられる[遥任国司] |
| 768 | 神護景雲2 | 大伴宿称伯麻呂、遠江守に任ぜられる[遥任国司] |
| 768 | 神護景雲2 | 益田連縄手、遠江員外介に任ぜられる[員外国司] |
| 771 | 宝亀2 | 遠江国磐田郡主帳無位若湯坐部竜麻呂など私物をもって窮民を救い褒賞をうける(続日本記) |
| 774 | 宝亀5 | 従四位上中衛員外中将伊勢朝臣老人、兼ねて遠江守となる(続日本記) |
| 774 | 宝亀3 | 従五位上石川朝臣真守、遠江守となる(続日本記) |
| 775 | 宝亀6 | 遠江国司の定員、少目1人が増置される |
| 779 | 宝亀10 | 従五位上当麻王、遠江守となる(続日本記) |
| 781 | 天応1 | 富士山噴火する(続日本記) |
| 783 | 延暦2 | 遠江国の浮浪人につき尾張・伊賀両国に連絡する |
| 785 | 延暦4 | 遠江国の調庸が粗悪のため厳責をうける |
| 785 | 延暦4 | 遠江国など大風のため飢饉におそわれ、これを救う |
| 790 | 延暦9 | 遠江国など飢饉におそわれ、これを救う |
| 794 | 延暦13 | 平安遷都 |
