天竜川改修之碑てんりゅうがわかいしゅうのひ
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所在地 | 浜松市南区老間町 |
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時期 | 1928(昭和3)年10月建立 |
概要
「河底になったふるさと」の碑より上流に2キロメートルほど行った社護司神社の裏に建てられている天竜川改修に関する記念碑。
この碑には天竜川の改修の沿革と建碑の由来が書かれている。
碑文内容
1910(明治43)年に当時の内務省において天竜川の治水計画が樹立された。1920(大正9)年に実地測量が完了し1923(大正12)年にその経費を予算計上した。しかし、帝国議会の協賛を得たが、政府は財政困難のため工事を延ばし、1927(昭和2)年にようやく起工することができた。
河身を直線にすることによって堤防が強固になるため、東海道鉄橋より南側の本流より東西に分派している支流を合流させることがこの工事の目的であった。しかし、支流を合流させるために河の右岸付近にあった飯田村、芳川村に属する大小さまざまな島のうち、約半分を河川敷地としなければならず、多くの村民が先祖伝来の土地や墳墓を棄てて移住しなければならなくなった。
この土地は根菜類の栽培に適しており、特産物として名をはせていたため、当局に河川敷地の計画を東部に移すここと求めた。当局はその要求に応じ、最終的には飯田村の土地12ヘクタールと芳川村の土地36ヘクタール余りが河底へと沈んでいった。
天竜川の改修工事によって水害を防ぎ、周辺住民が安心して暮らせるようになった背景にはこのように移転を余儀なくされた人たちもいる。そのことを後世に伝えるため、この碑に由来と村民の功績を記す。
参考
『浜松市の石造文化財』(浜松市教育委員会)
『浜松市石造文化財所在目録』(浜松市教育委員会)
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